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2009/12/15

5. 日本の進むべき道 -小さな政府か、大きな政府か

2) 「低負担・低福祉」か、「高負担・高福祉」か
小泉・竹中らが進めた小泉構造改革は、国民の信を問わずに日本を米国流の新自由主義経済、すなわち小さな政府と市場原理主義による熾烈な競争による弱肉強食社会に推し進めたのです。多くの国民は、彼らの口車にまんまと乗せられた結果、日本社会は、米国並みの格差社会と貧困率の上昇(民主党政権で初めて公表された日本の06年度相対貧困率は15.7%で先進国の中で米国に次いで2番目に高い)、ワーキングプアやネットカフェ難民などの新しい貧困層の発生、ホームレスの急増、頻発する無差別殺傷事件など、まるで米国社会並みになってしまいました。かつての一億総中流社会、世界一安全で豊かな日本社会はどこに行ってしまったのでしょうか。

自民党、経団連、民主党の若手集団やマスメディアは、小泉構造改革の支持・推進を図ってきました。なお、これら集団は米国が進める経済グローバリゼーションに生き残っていくためには、小泉構造改革を中途半端に終わらさず、今後とも果敢に進めていかなければならないと主張しているのです。
張本人の一人である竹中氏は、テレビ朝日のサンディプロジェクトで、司会者の田原総一郎氏から「“どこも干し上がっているのは、小泉・竹中路線のせいだ”、という声は巷で溢れかえっているが、反論をどーぞ」と促され、予想どおり「私は何も悪くない」という弁明に終始していました。田原氏から「みんな干し上がっていますが」の問いかけに対して、竹中氏は、相も変わらず「自分のやったことが誤解されている、改革が中途半端に終わっているから弊害が目立っているだけである、派遣労働規制緩和による派遣労働者の急増などに対しては経営者や労働組合にモラルがないから、・・・・など」、まるで他人事のように言っている始末であり、責任を感じて反省している様子は全く伺えませんでした。
年収200万円以下の低所得者が1000万人を超えているのは、小泉構造改革による格差拡大によるものであることに対しても、竹中氏は年収0円の人が規制緩和により年収200万円になった人もいるのであって、情緒的に低所得層の拡大ととらえるべきでないと主張していました。
1000万人以上の低所得者の中には、ごく少数、そのような人たちがいることは否定できないが、1000万人以上の低所得者の大多数がそのような人たちであるかのように言うことこそ、事実を隠ぺいした主張であり、竹中流の論法、すなわち極く一部の事例を挙げて、あたかも全体もそうであるかのように誇張する新自由主義者に共通した論法であり、これこそ非科学的であり、情緒的というべきではないでしょうか。

労働者派遣法の規制緩和に対しても、竹中氏らは一部の若者が自由な働き方を望んでおり、労働者派遣法の規制緩和はそのような働き方を支援するものであって決して誤りではないと主張しています。これも一部の若者の意見を巧みに利用して、あたかも全体がそうであるように主張する彼らの常套手段なのです。
小泉構造改革の本質である弱肉強食社会の形成は、先に述べたように01年度から05年度にかけて、雇用者報酬が8兆5,000億円強減少したのに対して、企業の営業利益が10兆1,500億円に増加し、株主への配当(所得)が約2.8倍に、大企業の役員報酬が約2倍に増加していることからも明白な事実なのです。竹中氏はこのことに頬かむりして、みずからの責任を回避するのに苦しい弁明をしているに過ぎません。とくにあきれ返るのは、同番組で「地球環境を守るだけなら、人間がいなくなるのが一番いいわけです。でもそんなの解決策になりませんから」などと、誰もが認めることを前置きしておいて、自分に都合のいい落とし所に向かってこじつけて行くといういつもの竹中流の論理展開は、冷静に考えると非常に幼稚であるが、おそらく司会者や多くの国民は、流暢で、一気に畳みかける雄弁な喋りに騙されるのでしょう。

リーマンショックで明らかになったように、米国の市場原理主義は限界に達しており、すでに終焉を迎えていると言っても過言ではありません。そのような終焉寸前の経済社会、すなわち小さな政府、公的サービスの切り捨て、市場原理主義による熾烈な競争による弱肉強食社会を日本国民が未だに指向しているのでしょうか。日本の経済社会に馴染む経済社会体制なのでしょうか。小泉構造改革の前までは、比較的公平で、今日のような大きな格差もなく一億総中流社会であった日本は、どちらかというと北欧諸国の社会民主主義(規制資本主義)社会に近かったように思われるのです。

すでに、中曽根政権から日本はレーガノミックスによる新自由主義社会への方向に舵を切り国鉄の民営化を達成したが、小泉構造改革により本格的な新自由主義経済化が急速に進みました。小泉構造改革により生まれた多くの深刻な「負の遺産」を考えた時、日本国民は米国流の小さな政府、低負担・低福祉社会なのか、高負担(大きな政府)であるが、高福祉が保障されている北欧型の経済社会システムなのか、あるいは自民党などが主張している中負担・中福祉社会(その典型的な国は? 定義が不明確であるが)なのかを選ばなければならない時期に来ているのではないでしょうか。

そこで、次に当ブログでは新自由主義先進国であり、小さな政府として典型的な米国の経済社会、とくに社会保障体制の実態等をみることにより、日本が本当に手本とするに足る経済社会体制なのかどうかをさらに検証したい。
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小泉構造改革の総括と日本の進むべき道 | Comments(0) | Trackback(0)
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